久しぶりの東京。
ほぼ一年ぶり。
土曜の朝、羽田行き1便に乗る。
わたしは、阿波踊り空港という名前が、あまり好きではない。
徳島空港のほうが、好きだ。
いっそネーミングライツで、やれば。
朝から空港で、一杯。
車に乗らないから、できる。
思いのほか、ほろ酔い。
たまたま携行した文庫本の内容が、深い。
如何に歴史に無知か、ということ。
たかが1500年前のことを、なーんにも覚えてないし、わかってない。
日本の礎は、渡来人なんだ。
TRYしてきた人々が、いまの日本の先祖なんだ。
羽田空港到着。
特に感慨は、ない。
音楽を聴きながら移動する。
不意に風景に音楽が重なり、思いがけず感動がこみ上げてきたりする。
もう既に手持ちの音楽の量は、決まってしまっただろう。
最初の目的地は、新橋のとんこつラーメン店、一蘭。
新橋に降り立って店に到着したものの、開店は11時からのよう。
朝11時から、翌朝6時まで、開店しているらしい。
向かうは上野の、一蘭。
そうだ、ついでに東京上野ラインに乗ろうじゃないか。
東京駅。
東京駅が通過駅となった。
同時に上野駅も、そうなった。
きたきた。
なにしろ東京駅の次に停車するのが、上野駅。
新幹線じゃないんだよ。
神田駅周辺が、とても狭い。
神田駅をまたぎながら、前に進む。
これはとても愉快だ。
秋葉原駅あたりで、従来の線路に合流する。
もうすぐ上野。
一蘭に向かいます。
ついつい選んでしまう、麺やわめ。
やわらかーい麺にスープが絡んだのを、口で啜る快感。
それが、忘れられない。
で、たのんじゃった、生ビール。
午前中に、生2発目。
何の特徴も無いとんこつラーメン。
臭みも抑え、ひたすら万人受けする味となっている。
そして、カスタマイズを提供。
なかなかいいアイデアですな。
汗をかきながら、上野公園に向かう。
朝の上野公園。
ここの雰囲気は、なかなか、いい。
鳥獣戯画展は、4月28日から。
まだやってねーんだ。
様々な動物を人間に見立てた、マンガ。
いまから800年も前に作成された、筆で描かれた、作品。
一度本物を、観てみたいもんだ。
国立博物館。
そもそも博物館が、気になる。
なにを展示しているんだ。
例えば大英博物館には、世界中から盗んできた、略奪してきた盗品が陳列されている。
これは少々、偏見を含む表現かも、しれない。
最も感心したのは、金属細工。
この固い金属を、どーしてこんな芸術作品に仕上げることが出来たのか。
細心の気持と、美しくする野心と、そして受注元が喜ぶ顔が、その作成者には常に心に存在していたに違いない。
そんな職人が、日本には案外多くいたし、今もいる。
と思いたい。
そして次は、江戸東京博物館へ。
かねてからこの建造物の形状が、好きではなかった。
なんで、こんな建物を造ったんだ。
で、今回初めて訪れたけど、改めてこの形状である理由が、解らなかった。
一番の目的は、これ。
歌川広重の、「名所江戸百景」を鑑賞すること。
これらの版画たちの魅力が心を捉える。
なにより押さえなければならないのは、これは、版画であるということ。
いわば大量生産される、芸術作品である、ということ。
印刷ではなく、手で創る版画なので、厳密に観れば、一つとして同じものは無いはず。
でも、ほぼ同じ高水準の芸術作品を、多く創り出すこのアイデア。
江戸後期の爛熟性を味わえる、そんなシリーズ。
大はしあたけの夕立ち。
じっくり観ると、黒の実線が、ほんとうに、細い。
その職人力に、感服。
原画があって、それを大量生産するために木を彫って、そして彩色して、刷る。
多くの工程を経て、こんな美しい多くの色に彩られた芸術作品が、沢山作成される。
日本を過大評価する快感に酔う行為は常に注意しなければならないが、でも他でこういうことが、できるか。
だれか教えて。
この、「亀戸天神境内」。
パッと、カメラで、そして目でこの構図を選ぶ。
なんなんだこれは。
この荒々しさ、ズカズカ入っていく感じ。
敢えて切り取ることで、その外の想像を観る者に与える感じ。
そんなことを広重が考えていたかどうか今になっては検証不可能だが、とても実に、大胆だ。
例えばスナップ写真、森山大道の写真たちが、とても魅力的なのは何故か。
おそらく、説明が多く不足しているからに違いない。
突然提示され、その解釈に苦慮する。
意味が分からないが、なぜかいつまでも見続けていたくなる絵、そして写真。
案外、解釈の余地を残す絵とか写真って、無いんだ。
誰かの説明や、意味の押し付けで満たされるそれらばっか、なんだ。
深川洲崎十万坪。
江戸の町で出たごみで埋め立てられた広大な土地。
向こうには筑波山が、見える。
それら関東平野を睥睨する、鷲か鳶かわからぬ猛禽類。
こんな版画が大量生産され、流通していたとは。
広重、礼賛。
そろそろ腹が減ったもので、今日は伊勢ろくの親子丼を、食べよう。
絶妙の半熟感と、鶏肉の柔らかさ。
ここは是非やせ我慢で箸で、食べてもらいたい。
椀を持ち上げ口に持ってゆくのは日本人特有なのかもしれない。
でも箸のみで食うとなると、それしかないんだよ。
蓮華、金属スプーンなど、できれば使いたくない。
己の口の吸引力を使用せよ。
ずるずるの、何が、悪い。
そして次の目的地は、東京ミッドタウンにある、国立新美術館。
マグリット展が開催されている。
たぶんもう、マグリットに飽きているに違いない。
形だけで来たんだ、じっさい。
絵を観ながら便意をもようし、退散する。
本当に好きならそんなことには、なりはしない。
正直だ。
そんなこんなで鑑賞終了。
知の。哀しみ。
開高健が確か言ったが、知ることで、失うものがある。
知り過ぎて、寂しくなる。
あとは刺激に頼るほか、無い。
わたしにとってはそれが、アルコホールなのかもしれない。
いいわけとして。
ご覧いただき有難うございました。